卒業制作

大学でのこれまでの制作を通して自分自身が何に魅力を感じているかという事を見直すことで、それぞれの課題にあるコンセプトとは別に大きなテーマが浮かび上がってきたことに気づくことができた。


    資料1 
     

エドワード・T・ホール「文化としての時間」では
「人間は単一のコミュニケーションの世界にすんでいるがことばと行動という2つの分野に世界を分けている」とある。
このことから、時の流れを表現するにあたり言語要素を取り除き、自分自身が強く関わることに努力したものが「トウキョウ散歩」である。
しかし、場所の持つ力は壮大であり、大地に深く根をはった時間の経過は自分が表現したいコアな部分を飲み込むことさえある。
このトウキョウ散歩で飲み込まれた、本当に私自身が見ていたものを「隠れた時間」ということにする。

私の中での時間という物を分解して考えることをはじめていきたい。

私たちの生活のリズムを支える生物時間はそもそもすべての生物の始まりとされる一つの大きな軸である。
生命が誕生する以前の宇宙の惑星による自転によって私たちの時間のサイクルが決定され、季節のリズムが作り上げられた。
私たち個人の生活は基本的にこの生物時間をベースに繰り返される。
生物時間とは別に時計という物質が他の見えない時間をより見えにくくさせている。
時計という物が表す一定のスピードは時間というものをより機械的にコントロールできることから、現在の生活に関わるほとんどの事柄が機械的に行われている。

しかし、私は「時間」というものは、決して簡単に計ることのできないものであり、人間の感情や環境で様々な形に色付けられて行く、魅力的なものだと感じている。

その隠れた時間の魅力の深さをもう少し、整理して考えて行きたい。

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