卒制卒制
工房のプランニングを下のように決める。
赤いところが自分の空間。
工房の出入り口から斜めに廊下を通す。
左右にそれぞれ(太田 山崎)の部屋がある。
机や椅子、その他の可動できるものの場所は未決定。
分割のイメージ。
そしてその分割された空間を段ボールで覆う。
かなりの高密度で覆う必要がある。
内部。
実際の空間となったとき「段ボール」のイメージがかなり強いのではないか。
そのイメージから距離をとりたい。
その方法の一つとして照明による操作をする。
非常に演色性の悪いランプによって色を奪い、よりフラットな空間にする。
そのランプの効果。
空間イメージ。
具体的な覆いかたのスタディ。
工房に入ってから仕切りをつくるため実際の工房は床以外露出しない。
自分の空間にその要素を入れるかどうか。
まだ詰める部分はたくさんあります。
卒制
空間自体にフィルターをかけ、一度「現実」や「日常」から距離をとるのが有効ではないのかと考えた。
絵を描くためにキャンバスを用意する、ような感じで基盤をフィクションにする。
具体的には展示場所にある道具や構造体、機器をそれらのもつ形態を保持したまま、できるだけ忠実にすべて包む。窓、蛍光灯、机、椅子、黒板、構造体など。
(包む素材、色などは未定)
そして、その空間にひびを入れる。(入れかたは未定)
そこから露出するのは現実の「工房」。
現実のための虚構。
このような状態を空間全体に広げる。(段ボール、ベニヤ、紙)
イメージモデル。素材:牛乳パック、ペットボトル、広告。
具体的なひびの入りかたのイメージ。(ベニヤ)
どのような素材、色が効果的かこれから詰めていきます。
光を下方から当てた壁を背景に、1.葉を薄く重ねた場合と、2.幅20cmくらいに葉を重ねた場合、どのように見えるか確認しました。
空間は覆ってライトアップし、階段を作って人が下りていけるようにするという設定で、夜行いました。
写真を撮ったときの状態について↓
・写真一枚目:葉はB4サイズ硬質透明カードケースに入れている。(挟んでいる)
写真二枚目:透明の箱にふわりと入れている(葉の量が少なすぎるので、どんどん増やしてある程度厚みを作って再度実験し見え方を確認する必要あり)
・ライトは250Wハロゲンライトを地面設置、光は壁面に向けた。
・写真一枚目については、右→左に、徐々に落ち葉→加工した葉になっている。
つまり階段を作った場合なら、人は階段を下りてこの空間に入っていくにつれだんだんと落ち葉は違う(新しい)見え方へと変化していく。
葉の量がまだまだ少ないので、まだ何とも断言できないですが、葉越しの壁面をより感じられるのは、やはり薄く重ねた場合かなという感じはしました。
写真では白くとんでしまっていますが、ドライエリアの壁面が、所々にある葉と葉の隙間から見える感じもよかったです。
本日のエスキス
場所に対してどう関わっていくか、ということが先週からの課題でした。前回の記事で書いた2択については、
その場所を使って自分のテーマを作品に起こす、
という方向で進みたいと考えました。
単にその場所を見せる作品では説明的なものにしかならないと思い、あくまでも自分の表現をするということをこの卒制では取り組みたいです。
でもなかなかイメージが出てこなくて迷っています。
そこで先生からもらったヒントは見方を変える、ということです。
例えば天橋立はそこにあるものは一切変わっていないにも関わらず、逆さまに風景を見ることで全く違った印象を受ける、という話をしてもらいました。茶室での掛け軸や窓から見える切り取られた景色などもそうだということでした。
また日本と海外での彫刻についての話もあり、海外では360度見せる彫刻に対して日本の仏像などは正面性を大事にしている、という見方(見せ方)の違いがあるそうです。
今回の僕の場所についてもレンガ壁が強い正面性を持っており、これを裏として捉えてはどうかというヒントを頂きました。また僕自身はこの場所を風景として見ていますが、それを道行く人に伝えるということを考えてみろ、という風にも言ってもらいました。どう表現すればいいのか一向に分かりませんがとりあえず模型などで実践してみようと思います!
その他話題に挙がった作品で鉄斎の富士があり、日本人の風景の見方の参考にしたいです。
「立川新庁舎アートプロジェクト」
この時期に、前期3ヶ月分のことを再度思い返しながら改めてまとめていくのはなかなか大変な作業ではありましたが、制作のプロセス・方法論を捉え直すことができたので自分としてはとても良い機会となりました。
「立川新庁舎アートプロジェクト」
東京都立川市では平成22年度に新たな市庁舎の竣工が予定されています。土屋公雄スタジオの4年前期設計計画Ⅵでは、その新庁舎で展開されるアートプロジェクトにグループ制作で取り組みました。立川市は「まち全体が美術館」という理念のもと、積極的にアートを取り入れたまちづくりを推進しています。例えば、ファーレ立川では、それぞれのアート作品が換気口、排気塔、車止め、ベンチやサインなど、街に必要とされる機能を持っており、人々の日常の中に溶け込むようにして存在していました。新庁舎におけるアート化計画もそのような構想の一端を担っています。
市庁舎の設計者は客員教授の野沢正光先生でいらっしゃることから、設計に関する様々なお話をしていただきました。建物内部の機能美においては初期段階から市民との対話、ワークショップを重ねて追求していったというお話が特に印象的でした。これはいわば立川市民のためのオーダーメイド市庁舎であると言えるでしょう。ならば、私たちも市庁舎のためだけのアート(サイト・スペシフィック・アート)を創るべきではないかという考えが出発点となりました。
しかし、いざ作り手側に立つとどうすれば自分たちの作品がサイト・スペシフィック・アートに成り得るのかよくわかりません。まずはリサーチをして自分たちの中の情報を増やし、あらゆる方向から可能性を探っていこうという話になりました。市庁舎の模型制作に始まり、実際の施工現場にも足を運びました。現場に行くと、模型だけでは見えてこない周辺環境の音や光、色、においなどが感じられます。そこで得たものがアイデアのきっかけとなることも多々あり、改めて場所を直接体験することの大切さに気づかされました。他にも立川市の地図や歴史などからも何かヒントを得ようと図書館や資料館へも行ったりしました。また、現在の公共の場ではアートやデザインがどのように生かされているのかを知るべく、パブリックアート&ランドスケープ見学ツアーも行いました。
リサーチを進めるのと並行して、ドローイングや模型などでアイデアをとにかくたくさん出していきました。みんなの個性的なドローイングが壁一面に貼られたときのゼミ室はとても賑やかで楽しい空間となりました。その一見個性的でバラバラに見えるそれぞれのアイデアの中にも、いくつかの共通点を見出すことができます。それらをつなぎ合わせて大きな軸をつくり、そこからまたアイデアを出して可能性を拡げては再度まとめるということを繰り返していきました。学校での話し合いだけでは時間が足らず、みんなでファミレスに行って夜通しでディスカッションをすることもしばしばありました。それでもなかなかしっくりするアイデアが出てこないという日々が続きました。そこでもう一度図面や模型に立ち戻って考えていったところ、市庁舎という建築と関わったアート、その場から発生するアートを創ることが私たちの求めるサイト・スペシフィック・アートに繋がるのではないかという考えに行き着きました。再び模索の日々を続け、最終的にまとまった案は「立川の樹」を創ろうというものでした。単に植樹をするのではなく、吹き抜けから屋上にあるボリュームにかけて張り巡らされたワイヤーを伝って様々な植物が育っていき、いつしか絡み合ったその植物たちがみんなの大きな樹になるというものです。新たな市庁舎とともに成長していく樹であってほしいという願いも込めています。
徹夜での作業が続いた時や、途中でアイデアが出せなくなったときはつらいと感じたこともありましたが、最後まで頑張ることができたのはゼミのみんながいたからです。また、これまでに経験したことのない規模でのプロジェクトを成し得たのもグループ制作ならではだと思います。今回の制作を通しての経験、みんなと共に過ごした時間は何より代え難いものとなりました。
本日のエスキス
僕は屋外展示で、場所性がとても強い所を敷地に選んでいます。
これまでこの場所について芦原さんの意思などに思いを巡らせながら、そこに自分の作品を置くということを考えてきました。
問われたこととは、自分の場所への関わり方です。
・場所を見せるための作品なのか。
・場所の要素を取り出し、それを用いて自分のやりたいテーマを作品に起こすか。
いずれもその場所ありきの表現ではありますが、上記の姿勢の違いで作品をつくる過程(作品自体)は全く異なるということでした。
正直自分でも揺れている部分です。どちらも大事にしたいところです。
結果そのどちらも実現できる可能性はあるが、製作する上でどこに一番重きを置くのか明白にしなければこの先意見のしようもないということで、確かにその通りだと思いました。。
両方の攻め方で案を進めつつ、来週には自分の姿勢をはっきりさせていきたいです。
本日見てもらった案
この場所に新たな距離感を落とし込むということで、壁に対して面を切り込む。。など。
一番進めようと思っていたのは地面のラインで水平面を張って、堀下がった部分と壁に対して意識を向けるというようなものです。
そのための実験↓↓
思った以上に新しい見方ができて、面白い体感ができました。
“通り過ぎる”ときの見え方、再び
児玉佳子
卒業制作展示希望場所: 8号館と工房4の間のドライエリア
『ドライエリアに面している部屋(上写真左側:視デの印刷工房)から、作品を見られるようにする』
という方法がありました。
翌日、生活課の方から
「場所申請のときに出した案だと、設備管理上心配な点が出てくるので、ゴーサインだせない。もしどうしてもここで展示したいのなら、別の案を考えること」
と電話があり、後日生活課をたずねた時に、(芸祭期間に入っていたため研究室が休みに入り、研究室にはまだ通していないのですが、)「もし印刷工房から鑑賞するような作品にしたいとなったときに、印刷工房は卒展のとき人を入れることができるか」について伺ったところ…
→この部屋は毎年映像作品で使われているので、光の問題なども考えて、人を通すことは難しい。視デの領域なので不可能と考えていた方がよい。
…と言われました。
予定では、その案をもって視デの卒制担当の方に一応話を聞いてもらうことになっています。
土屋先生と研究室に直接話してから生活課に持って行きたいと思います。
●具体的な案について
正直に、印刷工房から観る案は今現在薄れてきています。
言葉と形、形の場所、場所と言葉…。全体がうまく結びつかず、悩んでいましたが、
芸祭期間中も、ドライエリアによく居座っていたのですが、
ある時市原さんに、
「最初は“枯山水”とか“不自然”なんて言葉は無くて、この場所を見せたいって言ってなかった?」
と言われました。
考えてみたら、この場所に対する思案の始まりは、
「作品を持ってきて、魅せることでこの場所を示したい」と考えていたことを思い出しました。
卒業研究の「東京庭園」では、
何気ない場所が人々の“庭”という作品によって、本来の目的以上の可能性を持ち、その場所の見方に広がりを得たせていることに気付き、
そしてこのドライエリアに目がいったのは、(ほとんど直感でしたが、)そのような可能性を感じたからでは?
今まで存在していたのに全く意識していなかった。それはムサビにいる多くの人も同じだと思う。なにせ工房4にいつもいるテキスタイルの人たちが気付かなかったくらいなので。
だからこそここに作品を持ってくることでこの場所の存在や可能性を示したい。
文章は長くなってしまったが、言いたいことは実は単純で、要するに…何気ない場所(ドライエリア)を何気ない場所でなくしたい。ということなのだと思います。
●場所の見方●
この場所を発見した時の私は、
「通り過ぎて、ハッとして、もういちど戻ってジッと見た」
です。
視デでない限り、“通り過ぎる”場所であって、普段わざわざ印刷工房を開けてもらって中から様子を観られるような場所でもありません。さらに意識していない限り立ち止まることもなく通り過ぎるだけで終わるような場所です。
だからこそ今もう一度、通り過ぎる時に見えるような作品の可能性も考えたい。
つまりその見方だと、作品を観る場所は下の写真のようになります。
太田さんの手伝いの時間が近付いてきたのでこのへんで切り上げますが、
ドローイングも追って載せていきます。
土屋先生おすすめの展覧会です
test2
モチーフの大きさを5ミリにする。(太すぎては繊細さが失われてしまうため)
壁は基本的には平面を使用する。 (一部曲面も出てくるかもしれません)
電球は白熱灯を使用します。 (他の電球では影が出ないものもありました。)
test2ではモチーフをどのようにしてみせるか? (重ねるのか、1枚でみせるのか、など)を考えます。
1-a モチーフを重ねる個人的にはすごく好きです。距離感が読み取れなくなる所や重なり合っている模様が奇麗です
1-b その場合の影の出方
残念ながら光と壁に距離ができてしまう為、影は奇麗ではありません。
2-a モチーフを壁に近づけてライトをあてる
この場合影はほぼモチーフと同じようなものが壁に映し出されます。
そこで、一つの提案です。
ライトとモチーフ、壁と人間の関係について考えてみました。
ON+にて
中村さんに溶接を教えてもらうためです。
僕が溶接をやろうと思った理由は、いままであまり素材に触れたことがなかったので鉄を扱ってみたかったということとレンガの規格が何かヒントにならないかと考え、棒材でこの規格のフレームを作ってみようと思ったからです。
越後さんが修制で使ったという2,5ミリくらいの材で試したところ、全然溶接できずだいぶ挫折感を味わいました。。練習あるのみ、みたいです。。
また中村さんに話を聞いてもらって意見をいただきました。
伝えた内容は先週先生と話した、「敷地の場所に絵の問題を持ち込む」ということです。
9月に先生に自分の絵を見せて「何が描きたいのかわからない」と指摘されるまで絵を描くことに対してあまり考えることはせずに、描きたいから描く、という姿勢でやっていただけでした。
それ以降思いを巡らせていましたが、絵を描くことが何か、全然見えてきません。
そこで中村さんに言ってもらったのは、「それまで考えていなかったということを考えてはどうか」ということです。
考えていないながら絵画にこだわっていたということはそこに自分の絵に対する意思があったはずでそれを探っていけばいいのではないか。。その通りだと思いました。
漠然と、絵を描くこと、と考えていても何も分かることはなく、たぶん自分の経験から読み解かなければ自分のリアリティは生まれないはずです。
経験で語る、その意味は自転車の旅でも実感したことでした。
いろいろ考えているとよく分からなくなりますが、変に難しい議題に答えようとすることはやめようと思います。
中村さんありがとうございました!