夜分にどうもです。
当たり前に為されていることは、その意味や良し悪しに気付いたときの感動と情報量が大きいので、私が普段よく目がいく項目の一つです。
さて、私は道沿いのアートの方をやっているので、
以下に記すこともその関係のことです。
ヤフーの辞書検索では出てきませんが、
「ストリートスケープ」
という用語があります。
-scape:名詞連体形「~の景観」の意
つまり「道の景観」ということになりますね。
ウェブで検索すると、一つには、
ストリートスケープとは街路及び沿道の建物等が一体となってつくりだす空間構成であり、そこで快適な公共空間と魅力的な景観を作り出し、豊かなパブリックライフを味わえるようにすることに各都市とも注力している。
と出てきました。
ここで実際の例を挙げると、
六本木けやき坂通りのストリートスケープ。
通りに作家のアートがたくさんあります。
知ってる人もいるかもしれないけど、 けやき坂通りのあのアートたちはみんなベンチだった。
「ストリートスケープ」は「ストリートファニチャー」とも言う、とのことなので、当然のことだったみたいです。
でも私は“ベンチ”としては見てなくて、完全に“アート”として今まで見ていました。
企業のデザインによるベンチをバラッと並置してるのではなく、
各々作家一人ひとりが手掛けたアートなのだから。
(さらに)でも、“アート”として見ながらも、「これ、座っていいのかな」と考えることなく“ベンチ”として使っている自分もいました。
今までに座ったのは
吉岡徳仁の《雨の日に消える椅子》、アンドレア・ブランジの《アーチ》、
トーマス・サンデルの《アンナの石》、エットーレ・ソットサスの《静寂の島》、
ジャスパー・モリスンの《パーク・ベンチ》、伊東豊雄の《波紋》
アートと機能がうまく融合していること、人の“アートを見て楽しむ”行為と“腰を掛ける”行為を緩やかに繋げ得ていることに今気付いて、ちょっと感動をしました。
先週、津田君の
「自分達は作家性がまだない分、どこまでやっていいのかわからない」と言うことに対して、
講師の方に
「もっと堂々と自分がやりたいことを主張してほしい。内在しているものを全部出して!そういう作品は見る人をニヤリとさせることが出来ます」
と頂きました。
先週から私は色彩効果とベンチに重点を置いて、上に述べた、「アートと機能がうまく融合していること、人の“アートを見て楽しむ”行為と“腰を掛ける”行為を緩やかに繋げ得ていること」を自分の形で出していこうとしています。
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