卒業設計中間発表


私は人が日常という形で直接に関わっている領域においてつくられている空間に興味を持ち始めてから、東京をヒューマンスケールで歩いてまわることを続けています。
その中で次第に家と道との境界につくられる空間、つまり「庭」と呼ばれるような空間に特に惹かれるようになり、
卒業研究では東京における「庭」という概念を掴むことを目指しました。
パネルの写真は「庭」として捉えた空間を残したものです。
しかし写真の通り、一般的なイメージの庭、計画的に草木・池などを配置し、整えられたものではありません。
見落とすほどに小さいもの、趣旨のわからないような不思議なもの、しまいには植物を使っていなかったり、土地を必要としていないようなものだったりと、
ありそうにない所、あり得ない所に出来やすく、
とても庭とは言い難いような代物ばかりです。
しかしそれらの「庭」はいくら狭くても広がりを感じます。
見ているとその人の世界や夢などの想像が膨らむのです。
東京の「庭」は“広いか狭いか”でもなく、実際に手に入る空間を求めているようでもなく、
彼らは実際には手にしていないけれども手にしているように見える感覚を求めているように思えます。
その感覚は東京に住んでいる限り元々手に入れること出来るわけがないという欠如から生まれてきているのかもしれない。
しかしそのような感覚には、物質的な空間の奥にさらに脳を使って感じられる空間があります。
目に見える空間と目に見えない空間が共に感じられる壮大な空間です。
そのような空間の捉え方、解釈にヒントを得ながら卒業制作に繋げていきたいので歩くことはしばらく続け、
卒業制作では、普段使っている場所を舞台に、鑑賞者に想像を膨らませ得るような空間、入り込める余地のある作品を考えたいと思います。

卒業制作(中間)

まず、自分が実際に、建築やインスタレーションなどを創造する上で
「空間」とは、どのように人間の本質に属しているのかということを考察しました。

人間は自分のまわりの世界と関わりを持つ「主体」であり、
意識が一定の対象に向かう「志向性」という特徴をもつ「主体」でもあります。
そんな「主体」としての人間に関連づけられている「空間」を、「志向的空間」と考えます。

そんな「志向的空間」という観点から、空間/人間/媒体/世界の関係性を定義しました。


     


そして制作に関してですが、作品のテーマ・思考プロセスを更に探求するために、
先月、ジン・ヨハネスが主催する建築のワークショップに参加しました。

このワークショップは、滋賀県の忍術村で、実際に忍者服を着て忍術体験をし、
そこで得られるであろう特殊な感覚、感受性を磨き、
それらが風化しないうちに可視化し、空間化し、作品化するという事が目的です。

つまり、「実際に体を動かして体得する意味」というのを捉え直す機会を与えられたのです。

まず僕は、様々な忍術体験をする上で、一つの体験を記録する媒体としてビデオカメラを選択しました。
撮影した忍術修行のなかでも、足にウキを付けて水の上を渡るという「水蜘蛛」に着目します。
水面を歩いたその映像を見返してみると、日常の動きの中には現れてこない多数のズレやブレが確認できます。

そこで、水面を渡り終えるまでの一分間の映像を一秒ごとの静止画の展開として、平面に落とし込みました。
実際には忍者ではない僕が、あたかも忍者として動こうした時に生じた「ズレ」や「ブレ」。
それらをマッピングを通して、一度二次元にプロットし、もういちど三次元への展開を試みます。

やがて、その作業が壊れはじめ、ある種の「臨界点」に達した時、
そこには新たな空間の「ゆがみ(ワープ)」が生まれはじめます。

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中間発表の段階では以上の内容を話しました。

キーワードとして挙がっていたことは...
  • 人間/媒体/空間/世界(human/media/space/world)
  • 志向的空間(intentional space)
  • ズレ(divergence)⇔ convergence
  • 歪(ゆがみ、ひずみ)(warp)

さらに、中間の段階ではまとめきれず挙げれなかったキーワードとして
  • ノイズ(noise)
  • AV都市(audio-visual city )
  • 超建築(trans-architecture)
などがあります。

色々キーワードが挙がり一見バラバラのようにも感じますが、
全体としての繋がりが「ノイズ」を通してジワジワと見えはじめています。

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「ノイズ」に関しての参考文章など

『ノイズ≒異形』(東京大学「ノイズ文化論」講義/宮沢章夫

 異形への眼差しとか、異形に魅力を感じるっていうことに意味がある。それが何かを掻き立てるからこそ、人は偽の歴史を作ってしまったり、出来事を物語化する。そうでなければ、「正しい」とか「きれい」とか「美しい」ものだけで社会が構成されていく。たしかに、そうであろうと社会は動いているし、「正しい」という方向に物語を修正しようとするのは自然な運動だ。だからこそ、「外部」に逸脱するもの、こぼれ落ちていくものに魅力がある。そのことを考える想像力をなくしたとき、きわめてつまらない退屈な日常しか残らない。人間の生活の95%は退屈な日常で、残りの5%ぐらいのところに、なにか魅力的な「過剰」みたいなものがある。それが、おそらく「異形」であり<ノイズ>である。


『Noise』(Fictional World Lullaby / SPANOVA)

必ずしもそう見えるという事が
そういうわけではないように
何よりもまさる何かがあるわけではないように
すべてがすべてにとってのアイロニーではないように
こころがあるところまで
たどりつく最後に

Noiseは吠えず とりあえず
ただ波となりて世界と出会い
Noise どこかのfoolがmusicな風な形にする
Woo Noise It's a noise


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いまのところ、こんな感じです。
また載せます。

つだ

卒業制作に向けて

 この夏私は宮崎から東京まで自転車で旅をしました。8日間の1000キロ近い道のりは今でも断片的にではありますが鮮明な記憶として残っています。自転車をこぎながら、私は東京にたどり着く一心で写真を撮る余裕もなく意識的に周囲を観察することもあまりしていませんでした。しかし途中の道、出会った人、風景は確かに自分の体の中に蓄積されています。私は短い時間の中で通り過ぎていった景色に原風景を見たのではないかと思います。ここで言う原風景とは、岩田慶治の著書「日本人の原風景」における「原風景とは、個性的に内面化された風景である。」という言葉に定義を置いています。初めて訪れた場所であり、そこに滞在することがなかった場所であっても、その場所は確かに自分の中に存在しています。この夏の自転車の旅を“原風景を探す旅”であったと位置づけ、この経験、そして見てきた風景が色褪せることのないように表現に起こしておきたいと思いました。
 旅の途中何度か足を止めて風景を眺め、また描き留めようと手帳にボールペンを殴り描きすることもりました。しかし長い道のりの中、多くの時間は初めて訪れる場所に対する緊張感や自転車をこいでいる疲労感、また先に待ち構える峠越えを思い心が折れそうになるといった余裕のない状態にあり、このような状況の積み重ねが、私の中で旅の経験を今でも現実のものにしてくれています。
 このような自分とは切っても切りはなせない風景とは誰にでもあると思います。私が表現することで見る人が原風景を感じるようなものはつくれないでしょうか。今の時点では数少ないスケッチや言葉によってしか伝えることはできませんが、最終的には建築学科の卒業制作として、空間的な表現に起こしたいと思います。建築という表現は直接的に風景を造る行為であるからこそ、自分の原風景を知ることが必要不可欠だと考えています。



卒業制作に向けて

先日の中間プレゼンテーションで発表した内容を載せます。


 私が魅力的な作家だと感じる人の一人は村上春樹です。彼はある著書の中で、自らが小説を書く場合において目指しているものは
「明確な一つの視座を作り出すことではなく、明確な多くの視座を作り出すのに必要な材料を提供すること」
と述べています。
私が卒業制作に向けて考えていることは、このようなことで
いかに多様性を感じとれるものを創造するかです。
建築やアートの分野でもその機能の一つとして新しい視点でものごとをみる機会を与える
ということがあると思います。
私はそのような効果を生むものは多様性を備えているものだと考えることができ、その機能を果たしたものは常に新鮮で、魅力的なものであり続けられる可能性があると思っています。
そのため、卒業研究ではこの多様性について考察しました。
その結論として導かれたことは、日常生活に目を向けること、日常の周縁のイメージがあるものをとりあげること、
この2つのことによってより多様性を備えた表現ができるのではないかということにいきつきました。
今後は2つの条件の共通点である「日常」をキーワードに深い考察を続けるのと同時に、具体的に「日常」のどのような行為やものや現象がより効果的に多様性を備えたもの、どこにでもあるようなそこにしかないもの
を創造できるかということを考えていこうと思っています。


とりあえず文章のみです。次、具体的なことを載せたいと思います。

卒業制作中間

 卒業制作のテーマを探すにあたり、まずは今まで自分がそれぞれの課題などを通して考えてきたことを思い返してみました。そうしたところ、共通して目にはみえないところでの人と人、人とモノの関わり合いやつながりというものに私は興味を持っていることがわかりました。
 そこで、個人的ではありますが、自分の幼いころの記憶を出発点にしたいと思います。その記憶とは、保育園の送り迎えの途中に車の中から入道雲が見えると、「あの雲の向こうにはおばあちゃんがいてその向こう側に行けば会える」と本当に信じていたことです。こう言うと、さも亡くなってしまった人の話をしているように聞こえるかもしれませんが、彼女は90歳を過ぎた今でも元気に過ごしています。その時の私は目には見えない離れた場所に住んでいる祖母とのつながりを感じていたのだと思います。
 では、見えないところで自分と自分以外の人やモノとのつながりを感じるとは一体どういうことか。私たちはそれぞれ自分の身体という個体を持って生きているため、実際に目が届き、身体が触れることのできる身近な範囲ではリアルを感じることができます。しかし、その範囲を外れたところで起こっていることに対しては、極端に言ってしまうと壁一枚向こうで起こる事にさえついつい無関心になりがちです。これはしょうがないことなのかもしれませんが、私たちは一人の個という存在である前にその個が集まってできている大きな集合体の中でお互いに関わり合って生きていることを忘れてはいけないと考えます。その意識が自分の中にあるとき、たとえ目には見えず、身体に触れることができなくとも離れた人やものいつながりを感じ、思いを馳せることができるのではないでしょうか。
 いま述べたような考えをさらに深めていき今後の制作に向かいたいと思います。作品に対する具体的なイメージ、使用する素材などは未定ですが、1/1のスケールで視覚的、または体感的な作品として表現したいと考えています。




以下は、何かヒントになりそうなイメージを集めたものです。


フランソワ・ルーアン
「紙の編み込み」

「編み込み」


手塚愛子
「落ちる絵」

「薄い膜 地下の森」
スー・ドーホー
「床」

タイトル不明
タイトル不明

アントニー・ゴームリー
タイトル不明

土屋さんのアトリエにて





【響像】- Anti Planetarium in ROCKET -




津田です。

ついに昨日から個展が開催しはじめました。

同じく建築学科の川鍋と
基礎デザイン学科の小林と
僕の三人でやっているプロジェクト【響像】。

昨年の芸術祭、そしてTHE SIXに続いて、
三回目の展示になります。

前回とはまた違ったものになっています。

ぜひ遊びに来てください。
お待ちしております。


場所:原宿ROCKET (http://www.rocket-jp.com/)
期間:7/31(金)ー8/11(火)  OPEN 12:00 〜 19:30
協賛:チロルチョコ株式会社
協力:anonym

会期中無休 入場無料




[LINK]
KYO-ZO HOMEPAGE
KYO-ZO BLOG
ROCKET HOMEPAGE

線の可能性




関係性。美しさ。

今日朝方も話していたことですが、

 美しさをつくる


‐ 必要な要素を組み込んでいき、設計の範囲で完結した建築(屋上)は、

 機械的なイメージが強く、

 美しさに欠けてる

 その美しさというのは、

 ボリュームやファサードなどあの場所の建築があってこそ成るアートと、

 そのアートあってこそ完結し得る建築が、

 関係性を持って生まれるもの






あの場所に訪れる人のほとんどは、アートが導入されたあの場所を見るとき、

なぜそうか、というような言い方、自分の知識と照らし合わせながら見るような事はしないだろうし、

造形物として視覚的意味を持った美しいものがあれば、素直に美しいと観て喜んでくれると思う

でも、私たちは今、決定されたボリュームとファサードと配置のある屋上でアートに挑んでいて、

それらが在るからこそ成るアートを造って、そして同時に建築も美しさを持って完結させたい

関係性を持って生まれる美しさをつくりたい

ただ、だからといってあまり言語的意味に集約してしまわないようには気をつけようと思っています・・




光(色)ですが、先週の講評の時点では「塔」というワードが強くでましたが、

現段階の中で「塔」にうまくしっくりこない部分があります

“フォーリー”とダイナミズムは、私の中でもみんなの中でも上記の内容に沿って大いに展開できてきています

でも、屋上にもってくる“美しさ”を考えるときに、

光(色)にも可能性がある

あそこにもってくる光(色)はどういう形をとってくるか、どういうアプローチが考え得るか、

「塔」ではない形態でも思索中、というところです


ここ数日の児玉は頭の中で行き詰まりがちな感じなので、どんどんマケットやドローイングに落とし込んでいくように努めたい

イメージドローイング










昨日と今日で描いたイメージドローイング。
これに対して違った視点から意見をたくさんもらったので、それをもとに発展させたいと思います。




マケット

6/19 マケットの写真です

津田君


















山崎






赤澤くん



太田君