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1-a 5mmのモチーフ
   曲線の壁
   白熱灯
 

1-b
  2つのモチーフに距離を持たせた場合

2-a  5mmのモチーフ
    直線の壁
    白熱灯2-b 2つのモチーフに距離を持たせた場合

3 ボリューム

a 5mmのモチーフ

b 10mmのモチーフ
  角度をつけた場合

先週の先生との話


この場所やレンガ壁に魅力を感じ、これを生かしたい
という思いを先生に伝えたところ、

この場所を(風景として)見せることとは。。
普段誰も集中して見ていない↓↓

 枠を(既成概念)をくずすという操作を行う。

・階段の床レンガと壁レンガを反転する
・この空間を内部空間として扱う

などのアドバイスをいただきました。

それから、風景とは目を閉じれば消えてしまうのか、という質問が印象的でした。
僕はそこに吹く風や学生の声など、様々な要素がその場所をつくっているはずだから
目を閉じても消えない、と答えましたが、
そのような空気感を感じさせる作品が出来たらすごいと思いました。


また僕の卒制は、“絵を描きたい”というところから始まりました。
そして絵を描くことはこれからもずっと続けていきたいと思っています。
その上で先生から、

この場所に何かをつくる上で、絵画の問題を持ち込み、これを空間で表現する。

それが僕のオリジナルになる、ということでした。
難しい話です。正直全然分かりません。。
でもこれが出来なければ僕自身が納得できないのかもしれません。
絵を描き続けるといっても、単なる日曜画家になりたくはありません。
今は先生から聞いた“風景画の距離感”の話などを参考にしながら思いを巡らせたり
絵を描いたりしています。

検証

         トルソーを壁の中心に置いてみる。


         壁の中心から少しずらしてみる。


         周辺から眺める。


         トルソーを移動させてみる。

検証

地面にラインを引くなどして、見え方の検証です。



場所を読む

敷地希望地は1号館の中央広場に面した赤レンガの壁が印象的な場所です。
ムサビ創建当初はマスタープランの中核を成す二つの軸線上やほとんどの地面は
赤レンガで覆われていました。



その中で1号館のこの場所は地面と同じ赤レンガで唯一壁が造られた所です。
その積み方はフランス積みです。しかし建築法規上、明治時代以降の主流は
イギリス積みであったと言うことです。
あえてフランス積みを採用した理由はムサビ全体を統一させていた地面の
レンガのパターンに由来しているように思えます。
            
            フランス積みのレンガ壁

            地面レンガのパターン


この場所に建築家 芦原義信の何か強い意思が込められているのではないかと考え、とても魅力を感じています。              

経過報告



テーマを風景に定め、風景を作り出せないか、と漠然と考えていました。
限られた敷地の中で奥行きのある風景を見せ、印象に残す、ということで水盤を作る案です。



1号館裏口の堀下がった部分に水をはり
その手前の芝生スペースには雑木林を模倣し、雑木林を抜けた先で水盤に映ったその光景を眺めます。





太田さんに見てもらったところ、風景をつくる、というより
距離をつくっているように見える、と意見をいただきました。

水をはったこのスペースは1-104講義室への扉があります。
その扉へは普段はたった3段の階段を下りてすぐたどり着けるのですが
水によって先に進むことが出来ず、目の前にある扉が遠い存在になってしまう。。
というような距離が生まれているのではないか、という話でした。


また卒業研究で僕は旅の風景が体に刻まれていた、という話をしていました。
これに関しても太田さんから
風景よりも宮崎から東京までの距離を感じていた印象の方が強いのではないか。。
旅先での出会いなどの方が体験として強く残っているのではないか。。
という意見をもらいました。


そうかもしれません。
もう一度旅の経験を振り返ってテーマを見直してみる必要がありそうです。

展示場所候補

私は展示場所を室内と屋外で迷っていましたが、やっぱり屋外で展示をしたいという思いが強くなり、設置場所候補を探して校内をうろうろ歩いています。



候補①
10号館吹き抜け部分








候補②
4号館吹き抜け(写真は7号館を正面奥に向いたところから撮っています。)

この梁を生かした作品ができないかと考えています。







その他12号館ドライエリアなども見て回りましたが、現時点では4号館(7号館を背にして向かって右端の吹き抜け部分)での展示を考えています。

既存の建築と関わりをもつ作品にしたいので、梁を積極的に利用する方向性でイメージを出していきたいですが、吹き抜け部分にコードがクロスした状態で照明がぶら下がっているのが一つ難点としてあります。生活課に尋ねたところ、それらの取り外しはできないということです。それから動線を確保しながらプランを練らなくてはならないという点もあります。








卒業制作

大学でのこれまでの制作を通して自分自身が何に魅力を感じているかという事を見直すことで、それぞれの課題にあるコンセプトとは別に大きなテーマが浮かび上がってきたことに気づくことができた。


    資料1 
     

エドワード・T・ホール「文化としての時間」では
「人間は単一のコミュニケーションの世界にすんでいるがことばと行動という2つの分野に世界を分けている」とある。
このことから、時の流れを表現するにあたり言語要素を取り除き、自分自身が強く関わることに努力したものが「トウキョウ散歩」である。
しかし、場所の持つ力は壮大であり、大地に深く根をはった時間の経過は自分が表現したいコアな部分を飲み込むことさえある。
このトウキョウ散歩で飲み込まれた、本当に私自身が見ていたものを「隠れた時間」ということにする。

私の中での時間という物を分解して考えることをはじめていきたい。

私たちの生活のリズムを支える生物時間はそもそもすべての生物の始まりとされる一つの大きな軸である。
生命が誕生する以前の宇宙の惑星による自転によって私たちの時間のサイクルが決定され、季節のリズムが作り上げられた。
私たち個人の生活は基本的にこの生物時間をベースに繰り返される。
生物時間とは別に時計という物質が他の見えない時間をより見えにくくさせている。
時計という物が表す一定のスピードは時間というものをより機械的にコントロールできることから、現在の生活に関わるほとんどの事柄が機械的に行われている。

しかし、私は「時間」というものは、決して簡単に計ることのできないものであり、人間の感情や環境で様々な形に色付けられて行く、魅力的なものだと感じている。

その隠れた時間の魅力の深さをもう少し、整理して考えて行きたい。

卒業設計中間発表


私は人が日常という形で直接に関わっている領域においてつくられている空間に興味を持ち始めてから、東京をヒューマンスケールで歩いてまわることを続けています。
その中で次第に家と道との境界につくられる空間、つまり「庭」と呼ばれるような空間に特に惹かれるようになり、
卒業研究では東京における「庭」という概念を掴むことを目指しました。
パネルの写真は「庭」として捉えた空間を残したものです。
しかし写真の通り、一般的なイメージの庭、計画的に草木・池などを配置し、整えられたものではありません。
見落とすほどに小さいもの、趣旨のわからないような不思議なもの、しまいには植物を使っていなかったり、土地を必要としていないようなものだったりと、
ありそうにない所、あり得ない所に出来やすく、
とても庭とは言い難いような代物ばかりです。
しかしそれらの「庭」はいくら狭くても広がりを感じます。
見ているとその人の世界や夢などの想像が膨らむのです。
東京の「庭」は“広いか狭いか”でもなく、実際に手に入る空間を求めているようでもなく、
彼らは実際には手にしていないけれども手にしているように見える感覚を求めているように思えます。
その感覚は東京に住んでいる限り元々手に入れること出来るわけがないという欠如から生まれてきているのかもしれない。
しかしそのような感覚には、物質的な空間の奥にさらに脳を使って感じられる空間があります。
目に見える空間と目に見えない空間が共に感じられる壮大な空間です。
そのような空間の捉え方、解釈にヒントを得ながら卒業制作に繋げていきたいので歩くことはしばらく続け、
卒業制作では、普段使っている場所を舞台に、鑑賞者に想像を膨らませ得るような空間、入り込める余地のある作品を考えたいと思います。

卒業制作(中間)

まず、自分が実際に、建築やインスタレーションなどを創造する上で
「空間」とは、どのように人間の本質に属しているのかということを考察しました。

人間は自分のまわりの世界と関わりを持つ「主体」であり、
意識が一定の対象に向かう「志向性」という特徴をもつ「主体」でもあります。
そんな「主体」としての人間に関連づけられている「空間」を、「志向的空間」と考えます。

そんな「志向的空間」という観点から、空間/人間/媒体/世界の関係性を定義しました。


     


そして制作に関してですが、作品のテーマ・思考プロセスを更に探求するために、
先月、ジン・ヨハネスが主催する建築のワークショップに参加しました。

このワークショップは、滋賀県の忍術村で、実際に忍者服を着て忍術体験をし、
そこで得られるであろう特殊な感覚、感受性を磨き、
それらが風化しないうちに可視化し、空間化し、作品化するという事が目的です。

つまり、「実際に体を動かして体得する意味」というのを捉え直す機会を与えられたのです。

まず僕は、様々な忍術体験をする上で、一つの体験を記録する媒体としてビデオカメラを選択しました。
撮影した忍術修行のなかでも、足にウキを付けて水の上を渡るという「水蜘蛛」に着目します。
水面を歩いたその映像を見返してみると、日常の動きの中には現れてこない多数のズレやブレが確認できます。

そこで、水面を渡り終えるまでの一分間の映像を一秒ごとの静止画の展開として、平面に落とし込みました。
実際には忍者ではない僕が、あたかも忍者として動こうした時に生じた「ズレ」や「ブレ」。
それらをマッピングを通して、一度二次元にプロットし、もういちど三次元への展開を試みます。

やがて、その作業が壊れはじめ、ある種の「臨界点」に達した時、
そこには新たな空間の「ゆがみ(ワープ)」が生まれはじめます。

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中間発表の段階では以上の内容を話しました。

キーワードとして挙がっていたことは...
  • 人間/媒体/空間/世界(human/media/space/world)
  • 志向的空間(intentional space)
  • ズレ(divergence)⇔ convergence
  • 歪(ゆがみ、ひずみ)(warp)

さらに、中間の段階ではまとめきれず挙げれなかったキーワードとして
  • ノイズ(noise)
  • AV都市(audio-visual city )
  • 超建築(trans-architecture)
などがあります。

色々キーワードが挙がり一見バラバラのようにも感じますが、
全体としての繋がりが「ノイズ」を通してジワジワと見えはじめています。

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「ノイズ」に関しての参考文章など

『ノイズ≒異形』(東京大学「ノイズ文化論」講義/宮沢章夫

 異形への眼差しとか、異形に魅力を感じるっていうことに意味がある。それが何かを掻き立てるからこそ、人は偽の歴史を作ってしまったり、出来事を物語化する。そうでなければ、「正しい」とか「きれい」とか「美しい」ものだけで社会が構成されていく。たしかに、そうであろうと社会は動いているし、「正しい」という方向に物語を修正しようとするのは自然な運動だ。だからこそ、「外部」に逸脱するもの、こぼれ落ちていくものに魅力がある。そのことを考える想像力をなくしたとき、きわめてつまらない退屈な日常しか残らない。人間の生活の95%は退屈な日常で、残りの5%ぐらいのところに、なにか魅力的な「過剰」みたいなものがある。それが、おそらく「異形」であり<ノイズ>である。


『Noise』(Fictional World Lullaby / SPANOVA)

必ずしもそう見えるという事が
そういうわけではないように
何よりもまさる何かがあるわけではないように
すべてがすべてにとってのアイロニーではないように
こころがあるところまで
たどりつく最後に

Noiseは吠えず とりあえず
ただ波となりて世界と出会い
Noise どこかのfoolがmusicな風な形にする
Woo Noise It's a noise


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いまのところ、こんな感じです。
また載せます。

つだ

卒業制作に向けて

 この夏私は宮崎から東京まで自転車で旅をしました。8日間の1000キロ近い道のりは今でも断片的にではありますが鮮明な記憶として残っています。自転車をこぎながら、私は東京にたどり着く一心で写真を撮る余裕もなく意識的に周囲を観察することもあまりしていませんでした。しかし途中の道、出会った人、風景は確かに自分の体の中に蓄積されています。私は短い時間の中で通り過ぎていった景色に原風景を見たのではないかと思います。ここで言う原風景とは、岩田慶治の著書「日本人の原風景」における「原風景とは、個性的に内面化された風景である。」という言葉に定義を置いています。初めて訪れた場所であり、そこに滞在することがなかった場所であっても、その場所は確かに自分の中に存在しています。この夏の自転車の旅を“原風景を探す旅”であったと位置づけ、この経験、そして見てきた風景が色褪せることのないように表現に起こしておきたいと思いました。
 旅の途中何度か足を止めて風景を眺め、また描き留めようと手帳にボールペンを殴り描きすることもりました。しかし長い道のりの中、多くの時間は初めて訪れる場所に対する緊張感や自転車をこいでいる疲労感、また先に待ち構える峠越えを思い心が折れそうになるといった余裕のない状態にあり、このような状況の積み重ねが、私の中で旅の経験を今でも現実のものにしてくれています。
 このような自分とは切っても切りはなせない風景とは誰にでもあると思います。私が表現することで見る人が原風景を感じるようなものはつくれないでしょうか。今の時点では数少ないスケッチや言葉によってしか伝えることはできませんが、最終的には建築学科の卒業制作として、空間的な表現に起こしたいと思います。建築という表現は直接的に風景を造る行為であるからこそ、自分の原風景を知ることが必要不可欠だと考えています。



卒業制作に向けて

先日の中間プレゼンテーションで発表した内容を載せます。


 私が魅力的な作家だと感じる人の一人は村上春樹です。彼はある著書の中で、自らが小説を書く場合において目指しているものは
「明確な一つの視座を作り出すことではなく、明確な多くの視座を作り出すのに必要な材料を提供すること」
と述べています。
私が卒業制作に向けて考えていることは、このようなことで
いかに多様性を感じとれるものを創造するかです。
建築やアートの分野でもその機能の一つとして新しい視点でものごとをみる機会を与える
ということがあると思います。
私はそのような効果を生むものは多様性を備えているものだと考えることができ、その機能を果たしたものは常に新鮮で、魅力的なものであり続けられる可能性があると思っています。
そのため、卒業研究ではこの多様性について考察しました。
その結論として導かれたことは、日常生活に目を向けること、日常の周縁のイメージがあるものをとりあげること、
この2つのことによってより多様性を備えた表現ができるのではないかということにいきつきました。
今後は2つの条件の共通点である「日常」をキーワードに深い考察を続けるのと同時に、具体的に「日常」のどのような行為やものや現象がより効果的に多様性を備えたもの、どこにでもあるようなそこにしかないもの
を創造できるかということを考えていこうと思っています。


とりあえず文章のみです。次、具体的なことを載せたいと思います。